
愛知県・蒲郡市は三河湾に面して渥美半島と知多半島にはさまれ、温暖な気候と山海の幸に恵まれた街。東三河の御油町に初代、竹本長三郎が竹本油脂(当時は竹本製油所)を創業したのは1725年(享保10年)のこと。現在日本にある製油会社の中で有数の歴史を誇ります。
創業当時の江戸時代、油は食用ではなく、行灯のための灯明油として使われており、竹本油脂ではおもに綿実から搾油していました。ごまから油を搾るようになったのは大正初期くらいからのことです。



なぜ搾油で生業をたてようとしたのでしょうか。それは三河地方では安土桃山時代から木綿の栽培が盛んで、「三河木綿」が産業として栄えていたためです。綿実油は木綿生産のいわば副産物ともいえるもの。綿をふわふわした綿花と、中心にある硬い綿実(種子)に分け、綿花はもちろん木綿に。綿実は水車でつぶして油を搾り、さらに搾りかすは飼料や肥料として出荷していました。

時代は移り、明治29年に輸入綿花の関税が廃止されると木綿産業はかげりをみせ、電気も普及して灯明油が不要になりました。そして第一次世界大戦がはじまると、それまでヨーロッパに輸出されていた中国のごまが安く輸入できるようになり、竹本油脂は綿実からごま搾油に転身。隣町の蒲郡に工場を移転したのです。
胡麻油の製造を始めたのは、大正の初期、第一世界大戦が大正3年7月に勃発し、満州、南支の胡麻が当時最大の需要国であったドイツヘの輸出が途絶して相場が暴落し、菜種や綿実を絞るよりも胡麻を搾る方が、はるかに有利になったため胡麻を輸入し搾ったのが始まりです。竹本油脂と東京油問屋市場のメンバーであるヤマイゲタ館野、ヤマ十島田、カク石藤田、カネ笹萩原、大孫、奥田友三郎、カネ吉飯島、カネカ伊勢屋との取引は大正7~8年頃からであり、大正12年の関東大震災の折りに、たまたま蒲郡市の新工場が完成していたため、二つの工場から注文通りに納品できたといいます。これにより竹本油脂は信用を獲得し、以後東京において順調に市場を拡大しました。
現在、竹本油脂の工場は蒲郡の海辺にあります。1日の生産量は太白胡麻油や太香胡麻油、業務用の油など合わせて70トンほど。月曜朝から日曜朝までずっと工場は動いています。





















